愚痴をこぼした記事です。前半は天気とは全く関係ないですが、後半で天気を交えています。

さて、道路交通法が改正されて、自転車が原則車道(本当はもっと前から決まっていたことですが)が徹底されるべきとなった6月からはや4ヶ月余りが経ちました。が、以前自転車の歩道走行が目立ちますね。横断歩道では歩行者が入る際は降りて通行することと定められているにもかかわらず、まさかの警察官が自転車で悠々と渡る始末。私も普段自転車を乗りますが、6月以降は完全に車道走行をしております。何があろうと歩道は走行するまいと考えております。これには当然道路工事なども含みます。先日、道路工事現場でガードマンが、自転車に乗った私を歩道へと誘導しようとしました。当然無視。後ろから「自転車歩道!」などというトンチンカンな叫び声が聞こえてくる始末。果たしてガードマンは道路交通法をご存知なのだろうか?というより、そういう発言をする人は、日常生活でも歩道を自転車で通っているのでしょうね。ちなみに警察の誘導は絶対従うべきだが、ガードマンの誘導は絶対ではありません。スーパーの駐車場出入り口で誘導している方もいらっしゃいますが、歩行者が来ているのに通行可という誤った仕草をする方もたくさん見てきました。たとえガードマンが誤った誘導をしても事故を起こせば自己責任となる可能性があります。

そもそも自転車は歩道を絶対に通ってはいけないというわけではありません。ただし、速度に制限があります。えっ、メーターの付いていない自転車で自分の速度なんてわからない?実際に自動車のように制限速度40km/hなどという数値規定はありませんが、自転車が歩道を通る場合は徐行することとされています。つまりは、先ほどのガードマンは、「申し訳ありませんが、自転車を降りて歩道を通っていただけますか?」というのが正しい誘導でしょう。そう言っていただければ私も快く誘導に協力したことでしょう。

では、あなたにとって徐行ってどれくらいですか?
徐行とは、直ちに停止できる速度だそうです。まあ感覚としては6km/hまででしょうか?多めに見積もっても10km/h。これを超えては徐行とは言えないでしょう。果たして歩道走行の自転車は、徐行しているのでしょうか?時速6km/hというと、一般的な成人が歩く速度です。10km/hになると、よく朝夕頑張って歩道を走ってトレーニングしておられる方くらいの速度でしょうか。つまりはこれらの方を追い抜くような速度は徐行とは言えません。私は歩道を走っている自転車が、歩行者を追い抜かなかったのを見たことがありません。つまりは、歩道を走っている自転車のほぼ100%が法律違反をしているということですね。

そもそもこのことを自転車に乗っている方のどれくらいの方が知っているのでしょうか?というより知らないなら許されることなのでしょうか?今話題の某政治家の金問題で、先日、"法律を知らない人が得する社会"と苦言を呈している専門家の方がいらっしゃいましたが、まさにその通りですね。そんな社会はいけませんね。警察も取り締まりが甘いのでしょうね。

で、長くなってきましたが、実はここまで前置き。本題ここからです。
先ほどの徐行の速度。「そんなの時速15km/hでも自分は止まれるから自分にとっては徐行だ!」と言い張る人もおそらくいるでしょう。社会的に決められた規則と、人間の感覚のズレですね。このようなことは気象の分野でよく見られることです。

さて、今日の東京はどんな天気でしたか?曇り?微妙なところですが、もしかしたら晴れと判断される天気かもしれませんね。「そんなわけあるかい。空はほぼ曇りじゃい」そういう意見もあるでしょう。気象学的な晴れとは、雲量が8割以下の状態となります。さらには、雲量が9や10であっても、上空の高い雲が主体で、日差しがかろうじてかろうじて届きそうという薄曇りも天気予報では晴れ扱いです。天気予報で晴れというのはかなりの範囲を含みます。なにせ、青空がなくても晴れとなるくらいですから。このように人間の感覚と気象学的な感覚には大きな差が生じることがあります。

しかし、それは当たり前のこと。そもそも気象における基準は人間基準ではありません。環境基準なのです。これくらいの日射では植物がどう育つとか、これくらいの雨なら土砂崩れが起きるだとか、そういう基準です。今日は天体観測ができるかだとか、花火大会が実施されるかだとかいう人間の娯楽に即したものではないのです。「晴れるって言ったじゃないか。流星群見られると思ったのに曇ってたぞ。」「いや、でも雲量は8なので晴れです。」そういう会話も起こりうるのです。

雨の例をとってみましょう。雨の強さを表す語は、やや強い雨から猛烈な雨まで区分されていますが、やや強い雨というのは10mm/hからです。しかし、私たちの感覚で10mm/hというのは土砂降りの部類。やや強い雨というのは5mm/hくらいでしょうか。次の段階の強い雨は20mm/hからですが、こんな雨だと人間は外出危険です。ただ、気象では下から2番目(もしくは3番目)の基準で、まだまだ上に基準があります。私たちが感じる雨の強さというのは、傘をさす必要があるかだとか、傘をさしても濡れるか、だとか生活に即した感覚です。でも気象学では、川が増水するかだとか、土砂災害が起きるかだとか、そういう基準で決められているので、10mm/hというのは、普通なら災害は起きないけど、状況によっては起きる可能性もあるから、やや強いということにしておこうみたいな感じで決められています。

風の例なんかも顕著です。風の指標の中で最も弱い部類なのは、風速10m/sからの、"やや強い風"。しかし、風速10m/sとは、時速36km/h。無風状態で自転車を猛スピードで漕いだ時に感じる風と同じくらいです。かなり強い風でしょう。私たちは、風の強さは、髪がそよぐだとか、向かい風で歩きにくいだとかで感じますが、自然基準の気象では、木が倒れるだとか、高波が起きるだとか、そういうものを基準としているので、私たちの感覚とは異なってくるのです。気象の分野は自然という大きなものを対象としているため、私たちの感覚はより小さいものと判断されてしまいます。一方で、道路交通法などでは逆に、私たちの感覚はより大きいものと判断されることが多いです。

人間というのは、人それぞれ感覚が違います。自転車の制限速度の話でも出しましたが、徐行と感じる速度でさえ人それぞれ。だから、社会共通の基準を定めたわけです。この定める時に、単に人間の感覚の平均をとったならば、それは多くの人にとって合点のいくものとなったかもしれませんが、そうではない、気象学では環境基準、交通の分野では、事故が起きた際に責任を明白にしやすい基準で定められているために、私たちの感覚とずれているのです。

このズレに私たちがどう対処していくのか。気象の分野では、こういう勘違いをいかに正確に(雲が多くても晴れと書かれているのを、いかに雲の多い晴れと伝えられるか)、そして、このズレを埋めるような伝え方をすることが大切だと感じますね。なかなか人々の感覚に寄り添った天気予報というのはまだまだ少ないです。