熊本地震から1週間以上が経ちました。ようやく余震の回数も減ってきていますが、気象庁は以前の会見で、「これで収束すると思わないでほしい。次の大きな地震が起こる可能性もある。」と言っていましたので、油断はできないところです。

さて、今日は地震を始め自然災害に対する教育の話、つまり防災教育については考えたいと思います。

みなさんがかつて学生時代に、今学生の方は今の、授業の時間割を思い出してみてください。そこに、「防災」という科目はありますか?おそらくないでしょう。現在、防災教育を授業の一環として導入されているのはおそらく、防災科なんていう過程の高校生か大学生くらいではないでしょうか?つまり、多くの人は、まともに防災教育を受けないで教育過程を卒業してしまうのです。これは極めて異例な国とも言えます。

日本はご存知地震大国です。昔から幾度となく巨大地震に悩まされてきました。周囲を海に囲まれた日本は津波の脅威もよく知っています。それに加え、気象の分野でも四季がはっきりした気候区に位置しています。季節の変わり目は豪雨になることも多くあります。世界の中でも自然災害が特に起こりやすい国とも言えるでしょう。それにもかかわらず、自分の命を守る術を学ぶ「防災」という授業は存在しないのです。どう思いますか?アフリカで難病が流行っている地域では医療を学ぼうと必死になる人がたくさんいます。あるものに悩まされると人はそれを克服しようと必死になろうとするものです。なのに日本人は地震に数多く悩まされながら、防災に必死とは言えないのではないでしょうか?

仲間との関わり合いを学ぶ「道徳」、生活を学ぶ「家庭科」、パソコンとの関わり合いを学ぶ「情報」、これらはとっくにほぼすべての教育機関で学ぶことができます。しかし、自然との関わり合いを学ぶ「防災」は残念ながら普及していません。

でも、避難訓練くらいならしたことあるよ!と仰る方もいるでしょう。そうですね。避難訓練は普及しています。えっと、年に1、2回だけだけど。それも、教育者が、指導しやすいようなテーマに沿って。それで役になったという例も確かに東日本大震災の時に報告されているようです。しかし、現実はそんなものではありません。気象予報士になって、日々の天気を見ていると、教科書的な場合もありますが、教科書通りにはいかない例もたくさんあります。比較的方程式が確立されていて、予報の精度も高い天気の分野でさえです。まして、 地震予知などというのは、場所、時間をバッチリ当てるという予報の精度はほぼ0といっても過言ではありません。そもそも教科書というものを作ることができないのです。

もしかするとこのことが、文部科学省が防災教育を普及させない理由があるのでしょうか?

私は何も、避難訓練を否定しているわけではありません。何かが起こったときのことを想像して、シミュレーションして、実際に行動してみる。素晴らしいことだと思います。しかし、3つの問題点があると思います。まず頻度が少なすぎる。年に1、2回で身につくはずがない。どうですか?ご自身が学生の時に参加した避難訓練を思い出してみてください。しっかり覚えていますか?次に、面白くない。誤解を招く表現かもしれませんが、何も避難訓練に面白みが必要なわけではなく、毎回同じような条件で行ってしまう避難訓練はつまらないし、あまり役には立たないということです。事実、例えば低学年の間は必死になって取り組んでいた避難訓練も、高学年になるにつれサボりがちに、半分ふざけながら参加していた人も少なくないでしょう。避難訓練に慣れっこになってしまったのです。それにほとんどが学校内限定の避難訓練です。こんなのが実際に役立つはずがない。最後に、 種類が少ない。避難訓練の種類といえば、地震か火災か津波くらいでしょうか?でも、豪雨災害や洪水災害など他にも災害はたくさんあります。

ではどうすればいいんでしょうか?やはり頻度を増やすということは大切だと思います。あとでまた述べます。それからもっと大切なのは、頭を使わせる避難訓練です。今の避難訓練は、先生たちがすべて指揮して、避難場所の体育館であったり運動場であったりにぞろぞろ並んで避難します。そんなこと実際にあると思いますか?できるわけがないでしょう。実際に起きた時は、みんなが揃って授業中かはわからないし、教師がいないかもしれない。普段使っている避難経路が使えないかもしれない。場合によっては下よりも上に行くことが大切かもしれない。今回の熊本地震のように大きな地震が立て続けに起きるかもしれない。もっと言えば学校内でないかもしれない。それこそ避難訓練は"迷路"にしたほうが役立つと思うのです。今回はここは通れないだとか、今回は津波の恐れがあるだとか、今は夜だとか、毎回毎回状況を変えて、そして教師もつかずに生徒自身で考えて行動させる。それこそが実際の災害時に活かすことのできる力を育てられるのではないでしょうか?場合によっては、訓練といえど、しっかり避難できなかった生徒に対しては、「実際ならあなたはここで息絶えてたよ」と言ってあげることも必要かと思います。何がダメだったのかを考えることも大切だからです。

「防災」とは、2つの意味があります。一つは今言ったように、災害から身を守るということです。もう一つは、災害が起きた後も身を守るということです。どういうことかというと、地震災害では何も地震だけによるものではありません。その後に雨が降れば土砂災害の可能性もありますし、車で避難していればエコノミークラス症候群になる可能性もあります。実際の地震ではストレスなどメンタル面でも不安定になるかもしれません。いわゆる災害関連死を防ぐことも大切ということです。

少し地震についての話になりすぎたので地震から話題を変えます。防災は何も地震に対するものだけではありません。種類を増やすということですが、ここで問題になってくるのはどの災害が起きやすいかは地域によって異なるということです。内陸県で津波の避難訓練を頻繁にしても有効とは言えないでしょう。逆に土砂災害とかへの訓練の方が必要でしょう。しかし起きにくいからといって全く学ばないというのもよくありません。旅行で海水浴に行っていた時に津波に遭う可能性もあるからです。将来は今住んでいるところとは全く別のところに住むかもしれないからです。将来どこに行っても、考えて行動できる力を身につけさせることが大切なのです。

こういう地域差があることも防災の教科書を作れない理由なのでしょうか?それでもいいんです。教科書作っちゃえば。教科書では、一般的な災害に対して、しっかり学べるようなものを作り、避難訓練は地域に即したものを行う。内陸県でも教科書で津波について学ぶ。実際の災害は教科書的なものばかりではないと書きましたが、教科書の内容が理解していないようでは教科書的かどうかを判断することもできないのですから。応用は基礎の上に立つものです。

防災とは何も大きな災害ばかりではありません。例えば雷がなった時はどう行動するのか?ゲリラ雷雨などで河川が増水した時はどうするのか?増水した河川に人が流された時は?沿岸部の地域は高波や高潮も考えられます。大雨の後は地滑りがあるかもしれません。地域差があるもの、地域差がないもの、いろいろあります。地域差のないものは教科書で、地域差のあるものは個別に学んでいくことが大切です。

こうなると、教科書で学ぶこともたくさんあるし、実際に体と頭を動かしてシミュレーションすることもたくさんある、とても年2、3回では足りません。低学年の時から少しずつ、でも確実に力になる防災教育がこれからは必要なのではないでしょうか?「防災」と言う科目がやはり必要です。

正直言って、今の防災教育は、指導者側の訓練になっているような気がします。指導者側が実際の災害時に慌てないで行動できることも確かに大切です。しかし生徒想いではない。国語や数学といった一般教養は、社会に出てからも役に立つような教育がされています。しかし、避難訓練などは、その学校にいる時しか役立たない。社会に出てから、時ところ変われば行動できない人が多いのは今の防災教育に問題があるからではないでしょうか?次の災害は待ってはくれません。少しでも早く今の防災教育を見直して、社会に出てからも役に立つような力を小さいうちから身につけることが大切だと思います。昨年、東京都に"東京防災"と言う冊子が配られました。そこに書いてある内容を実際の教育現場で一つの授業として使っていればあれを全世帯に今更配る必要はなかったはずです。

残念ながら自然災害はなくすことができません。しかし、自然災害で命を落とす人の数を減らすことはそれほど難しいことではないでしょう。大きな地震災害が起きた今こそ、防災教育を見直すべきです。